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Channel: アンダーカレント ~高良俊礼のブログ
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天才少年あらはる!

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昨日はまったり、日中は音楽と読者と喫茶に没頭しようと決めておりましたので(療養中の身なので、毎日まったりなんですけどね・笑)、友人にして恩人のrio嬢から頂いた、長崎土産の「五三カステラ」とキャラメルマキアートとキュルケゴールとファッツ・ウォーラーをとことん堪能しました。

「指折りの菓子職人が、一日数本しか作ることができぬ」と言われる幻の五三カステラは、“しっとり”の概念も“ふんわり”の概念も“ほんのり”の概念も…、えぇい面倒臭い!つまりは「カステラの概念を覆す程の美味であった」と。

アールグレイにしようかと思いましたが、通常のカステラよりも濃厚な旨味の五三カステラには、やはりコクのあるキャラメルマキアートで、旨味とコクの相乗効果を楽しみましょう♪

まずは双方の香りだけを嗅覚に記憶させ、音楽をセレクト。

うん、「旨味とコクの相乗効果」には、「渋味と華」の両方を、しかも絶妙なバランスで併せ持っている天才の音楽がよろしい。

つうわけでファッツ・ウォーラーですよ。


スウィング・エイジの偉大なるピアニストにして、ブギウギ、ブルース、バラード何でも来いの凄腕ピアノに合わせて、歌も唄えるという凄い人。

両手の指をフルに使った華麗な鍵盤さばきは、オスカー・ピーターソンやセロニアス・モンクなどのモダン・ジャズ第一世代の巨匠達がどれだけ憧れ、影響を受けたことでしょう。

しかし、無駄な音なんざぁ一音もありません。

バーン!と盛り上げる時はド派手に弾きまくりますが、ジンワリ聴かせるところでは“間”で引き込みます。

ヴォーカルも鼻唄みたいに軽やかに聞こえますが、よくよく聴くと曲のスタイルによって声色や抑揚を巧みに使い分けていて、実によろしい♪


私ぁ最近彼の“歌”を聴くのが楽しみなんです。
「音楽と茶と茶菓子」は、私にとってはクリスチャンの「父と子と聖霊」みたいなもんです(クリスチャンの方失礼!汗)。つまりはどれが欠けても全部が成り立たない、物凄く重要なものなんですと。

そんなファッツ・ウォーラーを「よろしいなぁ~♪」て夕方まで聴いてました、ハイ。

夜はマリンブルーでライヴ・イベントがあるというので、妻とおでかけ。

そしたら何と「これはファッツ・ウォーラーの生まれ変わりではないのか!?」という人の演奏に出会いました。

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“大地君”6歳です。

この子凄いんですよ、ピアノ上手い、歌上手いのはもちろんなんですが、選曲がね、フランク永井とか美空ひばりとか、いわゆる「昭和歌謡」なんです。

しかもピアノは完全な独学、歌も(身内の)誰かが教えたとかそんなんじゃなくて「自分で勝手に聴いて勝手に覚えてる」んだとか(!!)。

私は「映画館で、無声映画のBGMを即興でバンバン弾いてギャラを貰ってた少年時代のファッツ・ウォーラー」の姿は多分こんな感じだったんじゃないかな~♪とか、愉快に夢想しつつも、大地君のピアノの音がちゃんと「ブルースの音色」であることに、感動を越えた畏怖の念すら覚えました。

新たなる強力なライバル出現であります。

私も演奏のリハビリせねば!

と、思いつつ、テナーとかギターはまだしんどいのでアイリッシュ・ホイッスルをピーピー吹いております。


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出発式

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生まれ故郷の朝仁海岸


ここから少し離れた朝仁新町に引っ越す時に「あぁ、多分俺は、何か特別なことをしするために、ここに帰ってくるんだろうな…」

と、ぼんやりと思ってはおりました。

海岸にはそれ以後もちょこちょこと遊びには来て

島を離れてからも帰省する度にここを訪れ

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そして帰郷してからも、私は度々息抜きやリフレッシュに来てはおりました。

“特別なこと…”

ここに来る度に心のどこかでそう思っていて

あれは一昨年のことでしたか

深い縁のある人達と、ここでそれまで見たこともないような、それは見事な、鏡のような月を見て

またそれからしばらくして

舞を月に捧げているかのように踊る人と

その人の美しい“魂の形”を見せて頂いて…。

それらは不思議な「予兆」でありました。


母方の、白十字のひいばあちゃんが、ここを“拝みの場所”としてたことを知らされたのも


喜入の祖父の、末弟にあたるおじさん一家の墓が、色んな偶然が重なって、たまたまここに建てられたのも

つい最近の話です。



ユタさんは私に

ユタの伝統に則った海神様山神様への「お伺いの儀式」を

自分にとって最も縁の深い海に行ってしなければならない。

と言われました…



その時バーッと

色んな記憶がフラッシュバックして

「特別なこと」

の意味が分かりました。


なんてことでしょう


目にした故郷の川は

“あの時”とはまるで違う何かみたいに綺麗になっていて

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いつもは、特にこの季節はすさまじい北風が吹き荒れているはずの海岸が嘘みたいに静かで

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海は見たことないぐらい穏やかに凪いでいて…

もうこれは

スーパーコンピューターみたいな恐ろしく精密なプログラムが

今日のこの日の為だけに設定されていて

“その時”を合図に一斉作動したとしか思えない展開であり

自転車を下りて茫然と大海原を眺め

まだ“報告”をしてなかったおじさんの墓に「俊礼が引き受けに参りました、では!行ってきます」と手を合わせ

時計を見たら

満潮時刻のピッタリ1分前…。


青いカーディガンと靴と靴下を脱いで

私は“ほぼ真っ白”な出で立ちになり

ズボンの裾をまくってから

用意しておいたススキを手に、静かに足を海に浸して

一通りの“式”を終えました。


気分は驚く程高揚しません


そこにはいつもと別に変わらない「この海と私」の関係があって

海と空と陸地以外には犬の散歩をしている人や

無邪気にはしゃぐ子供達が映るだけ。


足を乾かしながら煙草に火を点け

いつものようにぼんやりと

な~んも考えない心が

「何ぞ素敵な言葉でも出て来んか…」

と、静かに待つのみでありました。


出て来たコトバといえば

「雨ニモ負ケズ…」

私が最初に出会った、そして最も愛する文学である、宮沢賢治のコトバでした。

雨にも…


雨ニモ負ケズ

風ニモ負ケズ

雪ニモ

夏ノ暑サニモ負ケヌ丈夫ナ体ヲ持チ

欲ハナク

決シテ怒ラズ

イツモ静カニ笑ツテ居ル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ

アラユルコトヲ

自分ヲ勘定ニ入レズニ

ヨク見聞キシテワカリ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブギノ小屋ニ居テ

東ニ病気ノ子供アレバ

行ツテ看病シテヤリ

西ニ疲レタ母アレバ

行ツテ其ノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ツテ怖ガラナクテモイゝト言ヒ

北ニ喧嘩ヤ訴訟ガアレバ

ツマラナイカラヤメロト言ヒ

日照リノトキハ涙ヲ流シ

寒サノ夏ハオロオロ歩キ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

苦ニモサレズ

サウイフモノニ

私ハナリタイ






そうだ

そういうものに

私は死ぬほどなりたいのだ。

神様には何も

頼みもしないし願いもしない

要は“私”だ

あぁ


帰り道

月が出た

大好きな白い月が

わかった


ありがとう

ありがとう

ありがとうございます。


行きます。


天川ウスジの弁財天について

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朝仁の天川(浜里トンネルの手前を流れる川と、その一帯)ウスジ(山奥の尾根)にある弁財天について記述します。

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椿吉盛著『朝仁誌私考』によると

ーここに安置されている弁財天は小宿の児玉活円氏が、小宿中学校の山の上に安置されていたものを現地に移して拝んでいたとされる。この弁財天についての詳しいことは審らかではない。ー

と、縁起の謎が記されております。

薩摩藩による政策によって、島内の主要な場所に、観音堂(代官所に隣接)や弁財天、八幡宮などの寺社が相次いで建立されたのは、1660年代半ばから1700年代初頭辺りと云われております。

私が調べた限りでも、弁財天を御神体とする神社や祠は、島内に20ヵ所以上に及び、その数たるや圧倒的なものがありますが、「小宿の弁財天」を、いつ誰が、何の目的で建立したのか?その経緯は全くの謎であります。

小宿の由緒人(郷士格)、大津家の祖、佐和郁(サワイク)が、子孫の学問啓発のために祀ったという逸話があったらしいのですが、裏付ける資料はなく、「小宿中学校の裏山の雑木林にあった」という言い伝えも、椿氏が長老達に行った聞き取り調査の結果、いずれも否定的であったと記述されております。

事実として判然としていることは、『小宿のどこかの山に安置されていた弁財天の石像が、雑木林の中で野ざらしになっていたのを見かねた児玉氏が、朝仁天川のウスジに移した。』

ということだけです。

さらに『朝仁誌私考』によると

ー戦前は近隣集落をはじめ他集落からも参詣人があり、出征兵士の武運長久の祈願や、集落の雨ごいなどをした神様である。また遠く沖縄から兄弟探しの祈願もなされたという。ー

と、かつての”天川ウスジの弁天様“が、霊験あらたかな人気スポットだった様子が語られており、私自身の聞き取りでも「何か人探ししてる人なんかが“あそこをおがめば見付かる”っち、あちこちから連れだって拝みに来とった、ちゅう話は聞いたことがあるねぇ…」という貴重な証言が得られました。


弁財天は今もそのまま天川ウスジにありますが、それほどの“ご利益”を誇ったのに、どうして戦後になって参詣者がバッタリ途絶え、今やその存在を記憶する人すら稀少になったのか?

そもそも何で、奄美の小さな集落の、しかも外れの山奥にある、小さな石祠と石像だけの弁財天が、沖縄辺りからも参詣者がやってくる程に知れ渡ったのか?

今は参詣者どころか、天川ウスジに登る人すらいません。


「色んな神様がいる山で、悪い霊も集まる所」


と、あるユタさんが言ってたとの情報提供があり、

また、実際に不可解な死亡事故や自殺が多々あったようです(一本松での首吊り話は聞いたことがあります)。

確かに、前回登山した時(第一次天川作戦)に感じた山の雰囲気は異常であり、不可思議な転落事故にも遭ってあわや遭難の事態にも見舞われました。

しかしこの、戦前から戦後にかけての「山の性格の変わりよう」は一体何なんなのでしょう?

つい何年か前に、小宿小学校の背後にある山に、「厳島神社」が建立されました。

この神社は、小宿集落の人達による、善意の寄進によって建立されたものです。


厳島神社の祭神は“イチキシマヒメノミコト”。

言うまでもなく、神仏習合の流れで“弁財天”とされてきた神様です。

小宿の人達が厳島神社を造ったということは、集落の人達の中で、「昔小宿におった弁天さん」の話が語り継がれている、ということでしょう。

さて、調べれば調べれる程に、いくつもの疑問が次々に湧き出てしまう「天川ウスジの弁財天」のお話しですが、まだ続きます。

どうも私の先祖が絡んでる可能性が出て来たのです。

長くなりそうなので今日はこれぐらいに致しましょう…。

次回、乞うご期待。



徳田邑興(1)

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徳田邑興(徳田小藤次藤原邑興)は元文三年(1738年)生まれの薩摩藩兵学者。

若くして江戸に留学し、山縣大弐、須藤一柳から軍師としての奥義を学び、宝暦十一年(1761年)に帰藩します。

その後の邑興は、当時の武士達が教養として重んじていた甲州流軍学を「他国浪人の妄説、ニセモノ、大平に過ぎた時代の芝居、見世物。形式に流れてやがては国家の滅亡を招く」とバッサリ切り捨て、自らの兵学を「合伝流」と名付けて、「実戦に即した島津古兵法の称揚と、鉄砲隊を基本とする近代的な用兵術」を盛んに唱えるも、藩校造士館での講義の席で、条件として約束された「甲州流軍学を攻撃しないこと」をあっさり破り、その咎で1776年3月、加計呂麻島実久に流罪となりました。

この地で島妻をめとり、島の由緒家の子弟達に勤皇思想を説き、学問や妖術を教え、やがて大島本島の小宿村に配置代えを命ぜられ、妻子を伴って小宿に居を構えます。

邑興と島妻の間には6人の子供がおり、四男の直厚が進家の養子となって、その孫が私の曾祖父であり、その娘が祖母、その娘が母、そしてその息子が私。

なもんで、邑興は私から見れば「ひいじいちゃんのひいじいちゃん」ということになります。

この人がもしかしたら小宿において「弁財天」の設置に、何らかの形で関わってたんじゃないか…?と、私は思っております。

というよりも「小宿の山に厳島神社が出来たらしい」と、何年か前に聞いた時に「ピン!」ときました。

彼は兵学者でありますが、陰陽師という裏の顔もあったからです。

ちょっと疲れたので休憩して、続きはまた次回…。

徳田邑興(2)

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「陰陽師」といえば、近年の安倍晴明ブームによって、何か超能力者か霊媒士かのように誤解されておりますが、陰陽道の実態は、天文、気象、測量、地質、土木建築などの理数系の教養に、心理学的な要素を総合した学問でありました。

先に述べた知識は、戦争に勝つためには必要不可欠なものであったので、“軍師、兵学者”と呼ばれる人達が陰陽道を習得していても、何ら不自然なものではありません。
余談ながら、甲州流軍学の祖、小幡景憲も、陰陽道に通じていたと云われております。

邑興に関しては、島の由緒家の子弟達に学問や武術を教えながら、お気に入りの弟子には特別に陰陽道の秘技も伝授していました。

例として、奄美南部の名家、芝家の分家に、現在の瀬戸内町清水集落にを地盤とした清家の当主、當済の話が残っています。

當済は、後に島役人として大凶作の折は藩の御蔵を破って住民に分け与えたり、家人達を率いて無人島探検を行ったりしたスケールの大きな人として伝えられておりますが、秀才として鹿児島本土にまでその名が知れ渡っていた青年期に、実久の邑興の元で学んでいました。

ー當済は徳田から妖術も学んだらしく、百姓のメラベのテルの中に術を施したとの伝えがあり、最近まで妖術書があった。
※籾芳晴著『碑のある風景』より引用

ここにある「妖術書」というのは、恐らく陰陽道の書物のことでしょう。
記述されている”妖術“は、今で言う「イリュージョン」の類だと思われますが、とにかくこの例は邑興が陰陽道に精通していたことを裏付けます。

さらに、亀井勝信編『奄美諸家系譜集』によると

ー小宿部落の武家屋敷流の三遮路は動静と逃避に便利な企画は、他の部落に見られない整然さが目につく。鹿児島本土から初めてきて見る人々は、鹿児島本土の麓屋敷に似ていると言う。この部落の形体企画は、軍学者である邑興の指導でなされたのでないだろうかと、筆者の同好者間では推測しているのである。

※以上、引用おわり

陰陽師の本領は、このような、街の区画整理や築城等の普請事業に遺憾なく発揮されます。

即ちその土地の地形や水脈、地質等を調査して、気脈の源に祭神を、そして建造物などを、様々な状況を想定しながら巧みに配置してゆくのです。

「僕のひい祖母さんかひいひい祖母さんの持ち物として五芒星の紋が入った羽織があった。」

と、証言してくれた大叔父から見た高祖父が邑興、そして曾祖父が進家にの家督を継いだ直厚ですから、“徳田家の家紋とは別に”陰陽道のシンボルである五芒星紋を、養子に行く息子に与えたと考えれば、邑興が陰陽師の顔を隠すことなく前面に出して「小宿集落の普請事業を指導した」という仮説は、俄然真実味を帯びてきます。

気脈の源である水源地や川の合流地点に“押さえ“として、水神である弁財天を配置しないことの方が不自然でしょう。

だとすれば、肝心なのはその”目的“になってきます。

邑興が島流しされていた期間はおよそ12年の長きに及んでおります。

これは、罪としては大変に重い。

藩の戦術思想の柱である甲州流軍学を、家老や重臣達のいる前で公然と否定したことは、確かに咎にはなりましょうが、その程度の罪状で12年も島流しをくらうでしょうか?

同じく小宿に配流された名越左源太は、お家騒動という一大事の中心人物でありながら1851年から1856年の5年間だったことを見ても、不可思議に思えます。

私考でありますが、邑興は、というより、奄美諸島に配流される侍達には、配流にあたって何らかの密命が課せられていたと思われます。

9年間、加計呂麻の実久にいた邑興は、どうして急に配置代えを命ぜられて、帰鹿する前の最後の3年間を小宿で過ごすことになったのでしょう?

流人達の話と、薩摩(を表向きの支配者にした本当の支配勢力、つまり「島津ー近衛ー修験道ネットワーク、そして多分水戸徳川家を結ぶ延長線上にあるところ」)の見事な諜報政治の話は、項を改めて致しますが、断言できるのは、奄美を統治するに渡って「意味のないことは何ひとつ行われなかった」ということです。

小宿村の「陣地化」も、由緒家同士の縁組みも、流人達が島役人の子弟達に学問を教示したのも、全部支配する側にとって“意味のあること”でありました。

解ったことや気付いた事に関しては随時書き留めることとして、ちょくちょく休憩を挟みながら弁財天の話に戻りましょうね。



お付き合いありがとうございました。

J.S.バッハ/平均律クラヴィーアな日曜の午後

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『エドウィン・フィッシャー/J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻』(naxos)


何だかんだ言って、私にとってバッハは「一番付き合いの長いミュージシャン」と、いうことになるんじゃないでしょうか?

“付き合い”ってのは、初めて「やっべ、コレかっこいー!」と思ってから今に至るまでの期間のことです。

何がきっかけだったかは、よく覚えとらんのですが、とにかく「G線上のアリア」ですよ。

アレのメロディーじゃなくて、裏で鳴ってる伴奏音にズキュンとやられまして~…。

で、姉がピアノをやっとったんです。

私も通わされましたが、不真面目だったので即行で追放されましたが(苦笑)、とにかく姉はちゃんと真面目に続けておったんですね。

で、毎日練習をしておる訳だから、私がオモチャで遊んでるときも、母親に上手いこと丸め込まれて、台所で魚を捌いたり、ハンバーグこねてたり、ギョーザの皮包んだりしている時も、とりあえずまあピアノの音が聞こえてくる。

それをBGMのように聞いてたんですが、ある日なんかこう、右手と左手の組み合わせが恐ろしくカッコイイ曲を弾いている。

手に挽き肉とタマネギのみじん切りをベッタリ付けたまんま、姉のところに行って「随分とカッコイイが何だコレは」と、尋ねたら、やはりバッハであると。

ふ~ん、と思って、とりあえず「こんな感じの、メインの音と裏の音が、なんつうかツーカーな感じの音楽がバッハだ」とか何とか、フィーリングで記憶しつつ、私の音楽的趣味は、歌謡曲から日本のロック、パンクとかメタルとか、その途上でブルースやカントリー、民俗音楽なんかを拾い食いしながら、無節操に広がっていったのですが、不思議なことにバッハだけは色んな音楽聴きながらも、ちょこちょこ聴いたり、CD買ったりしてましたねぇ。

その都度「カッコイ~!!」て思ったり「よく分からん」と思ったりしてたんですが、ある日グレン・グールドというパンクなピアニストと出会い…あ、その前にレニー・トリスターノという、バッハの影響受けまくったマッドなジャズ・ミュージシャンにヤラれ…。

いかん、この展開は延々続く流れだ。


これまでの話を、全部ぶったぎって平均律クラヴィーアの話をしましょ。

数あるバッハのピアノ曲の中でも、平均律クラヴィーアだけは、何がどう良いのか説明するのに一番困る。

誰が弾いても「平均律クラヴィーア」は平均律クラヴィーア以外のものになりようがない。

とりあえず長い(フツーにCD二枚組×2枚)からかも知れませんが、作品としてどうとか、「このへんのこの辺りがたまんないっ!」っていう“ピンポイント聴き”が出来ない。

でも「平均律クラヴィーア」私大好きなんですよ、理由は“よく眠れるから”(笑)。

穏やかな日曜の午後に、なーんもやることなくて「ヒマじゃ~…」と思いつつも、頑張って何かしようとか、そういう意欲が起きない時の平均律クラヴィーア、最高ですよ♪

ただ今聴いているのは、戦前の名手と言われるエドウィン・フィッシャーの音源。

SP盤時代のまあるい音色、ほんわかした雰囲気の中から立ち上がる堅実な演奏…。

う~ん、よろしいな~♪

今日はココアと黒砂糖が美味いです。

ゴロゴロ聴きながらチビチビやっとります♪

これは寝るな~

うん、多分グッスリ寝れる(^^)

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のほほんの

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気温がグッと上がって春らしい陽気の奄美であります。

午前中は通販で購入した高柳昌行のタンゴ作品「ロコ高柳とロスポブレス/エルプレソ」が届いたので(ずーっっっと欲しかったアルバムです、何年か前にオーダーして待ってても来なかったので廃盤と諦めてたんですよ・泣)、もう嬉しくて嬉しくて、スピーカーかぶり付きで聴いておりました♪

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天気が良いので、ゆっくり時間をかけて街を歩きたくなりました。

お昼の屋仁川通りをゆっくり散策しながら、柳町~井根町方面を徘徊。

自然と“水神社”に足が向かいます。

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ひい祖父ちゃんが歩いてた“参道”は、心地良い風が吹いて、草花の香りがフワッと舞い立ちました。

植物達がこさえてくれる新鮮な酸素を吸って深呼吸。

この静かな空間でやることは、“何もしないこと”。

その鎮まったままの気持ちで、水小屋の中の小さな祠の“神さん”にお詣りをしました。

「まぁその、ご覧の通りでございます。いつもありがとうございます。」
みたいなことを心で語りかけたり…。

心の“コトバ”でありますから、翻訳するとなんとも鈍臭いですなぁ~(苦笑)。

帰り道、見事なソメイヨシノと、地面に散っている花びらを「ほぉ~…」と眺めていたら、隣におんなじように「ほぉ~…」と眺めているおじさんがいて、お互い花に見とれてるから、至近距離で目が合って、初めて互いの存在に気付いて、びっくりして、笑い合ったり…。

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貫禄のある猫さんに「お疲ッス♪」と挨拶して写真撮らせてもらったり…。

のんびり歩いたら汗ばんできました。

帰りがてら、いつも世話になってるお友達の事務所に差し入れのお菓子を、いつもの商店で買って…。

お友達の事務所で「ガットギターヤバイっす!!」とか「東京でいつも泊まっている旅館のおばちゃんがめちゃくちゃイイ人ッス」とか、そういう話で盛り上がって、結局お菓子ガッツリ食ったのは私だったわけで…。

帰宅したらやっぱり高柳聴きまくって、洗濯して掃除して…。

充実してきました!

名瀬の街には“場所”がある。

“場所”ってのは「ごめんよ~」と入って行ったら「おぉ、いらっしゃ~い」と、応えてくれる“人”がいるところだ。

これはすごいことなんです。

大事にしたい。


大事にしてもらいたい。

私もしばらくの休息の後、準備運動を念入りにやって

また“場所”を作ります。

いや、

私自身が“場所”になります。

それが私を育て、鍛えてくれたこの街への、ささやかな恩返しだと思っております。





追伸

八幡の龍さん

いつもありがとうございます。

高良俊礼

バレンタインですが

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私が昨日まで毎晩せっせとチョコを作り、嫁があちこちお世話になっている皆さんに、男女を問わず配り歩くという…(笑)

とにかくアタシら夫婦は、バレンタインとかクリスマスとか、そういうハイカラなイベントの日を“当たり前に過ごす”ことをしない夫婦でございまして、付き合って当初から「クリスマスイブのケーキの売れ残りが安いからそれ食おう。」とか、結婚してからは「クリスマスイブっつったらラーメンやろーも!」と「だるま舎」に行きました。

美味しくラーメン食べて、大将夫妻と楽しく喋ってたら「もう面倒臭いから、買ってきたケーキ、これ切ってもらってみんなで食おう!」と(笑)。

そういうことばっかりやってましたねぇ…。

にしても「だるま舎」みたいな、何にも飾らんから居心地が最高だった(もちろん味も最高!)お店も、都市計画に伴って立ち退き休業になってしまった。淋しいし悔しい!

でも、アチラの大将も「落ち着いたら再開する」と言ってたので、私は待ちますよ。

そして、またお互い「ご近所さん」で楽しく”商売っ気のないお店“やりましょうや!マタミたんピロミたん!

さて、何の話でしたか…?あぁ、バレンタインですね、すっかり忘れてた(笑)

我が家のバレンタインは、チョコを湯煎してる私の口に、嫁が出来合いのチョコの塊を突っ込んでおしまい。

カッコイイでしょう、毎回何か新しい事を突発的にするから「すげえなこのヒトわ」と、感服してしまう。「俺とは格が違うわい」と…。(笑)

ところで日本人は、自分の嫁さんのことを「ウチのカミさんは…」って言うでしょう?

この“カミ”ってのは女主人の“女将”から来てるんでしょうが、私はこれに“神さん”と当て字して読んでます。

男ってのは何だかんだ偉そうにしてるけど、やっぱり子供を産んで育てるのは女の人にしかできない。

“何かを生みだす”ってのは、これはもう神様の仕事ですよね。男はこの時点で女の人には敵わない、いや、敵う訳がない。

だから日本語は、そこんところを勘定に入れて、結婚してる女の人のことを“カミ(神)さん”と最高級の敬称で讃えている。

一応家に神棚なんかあって、私は拝んでおる訳なんですが「遠くの神様より近くのカミさん」ですよ。

だからアンタらも、神様幽霊なんたら言う前に、身近な人達を大事にせぇと。いかん、俺は誰と会話してるんだ!?(迷)



何の話だったっけ?

…まぁいいか。

ともかくそんなウチの“神さん”は、お友達とお出かけしてます。「何かさ~、満月満月ちゃんと喫茶店の話してたら盛り上がっちゃってさ~、ちょっとお茶してくるわ」と(笑)。

いや、こんぐらいのスケールでなきゃ。

あ、今日わざわざチョコ持ってきたり、預けてくださった皆さん、ありがとうございました。

一介の浪人の身に余るご厚意、感謝に堪えません。

ただのメモ(mixi日記より緊急転載)

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ーしかしそのような抽象体になりきれるのは、ほんの瞬間だけのことにすぎず、そのうえそうした瞬間においても現実の主体は、いぜんとして実存に生きつづけることによって、現存在(ひとのよ)にその負債を払っているのである。

(セーレン・キュルケゴール「哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき」より)


このテの文章を読むのは好きだ、理由は「わからんから」(笑)

でもキュルケゴールとか、フッサールとか、ハイデッカーとかがなんちゃらかんちゃらどうたらどうたらと、やたら難しい言葉を羅列してまで伝えたい“何か”があるというのは、何となくフィーリングで感じ取ることは出来る。

「哲学」といえばなんだかややこしいめんどっちいことをダラダラ書き流しているようなイメージがあるが、私がこのテの「哲学」に対して15年以上抱いてきた想いは、幸いなことに世間様が抱くイメージのそれと同じである。

寺山修司ならこう言うだろう

「例えば舞台がある。舞台というのは必ずしもヴェルサイユ宮殿のようなものでなくてはならない、ということはない訳だ。そこはテントであってもいいし、ストリップ小屋であっても交番であっても構わない、競馬場であってもいい。役者という演じ手が素っ裸で、或いは褌一丁という出で立ちでも、これをハプニング、つまり非日常空間に於ける架空のおとぎ話だと認識することによって、演じ手が“私は百獣の王のライオン様だ”と舞台で喋れば、それはハプニングとして成り立つと思う。ということは日常というのが実は非日常の延長線上を越えた論理の外にあるのではなく、つまりごく普通の観客の生活そのものの中に絶えず存在していると言い切ってしまうことができる。と僕は常日頃、かねてから考えている。」

寺山、長いぞ(苦笑)


そうなのだ、哲学というのはそもそも“存在”とか“自我”とか“真理”などという、ハナッから「言葉になんぞ出来っこないもの」を文字にしているのだ。

でも、まんず難しい言葉のワンフレーズでも、“意味なんか全然わからんまま”でも記憶しておいたら、たまに散歩の途中とか風呂に浸かってる時とか、音楽聴きながらボーッとしてる時なんかに「コレかー!?」っいう凄い“波”が来ることがある。

哲学者というのは、言わば真っ当な阿呆だ。

寺山もブルース・リーもジョン・コルトレーンも宮沢賢治もエディット・ピアフも双葉山もアルバート・アイラーもフランク・ザッパもヴァン ・ゴッホも、ピアソラも高柳昌行もランボォも、ビリー・ホリデイも高田渡もチャーリー・パーカーも川谷宅三もフェラ・クティも大バッハも勝新太郎もライトニン・ホプキンスもこないだ亡くなった立川談志もみんなそうだ、ハナッから答なんて見えやしないのを分かった上でソイツに挑んでみせる、そして死ぬ。

「世界を相手に戦う」ってのは、そういうことじゃあないのかい?

間違ってるかも知れんがね。


真っ当な阿呆は、人の心に風穴を空ける。スースーして気持ちが良い。


そういえば世の中は、そういう風穴を、心の中の空白というものを許さない。

テレビを見ても、真っ当な阿呆はついぞ見当たらない。居るのは笑えない馬鹿かおりこうな変態ばかりである。

それか、本当は真っ当な阿呆なのに、馬鹿やおりこうに見えるように演技してる。

そういう人達は、ありとあらゆる隙間という隙間に、びっしりと「意味」とか「理由」とかを詰めたがる。

そんなことを常にやられていると、心というのは絶えず騒いでいなくちゃならなくなる。

俺らァみんなそうやって“作られた”日常の中でガーガー騒いでいるだけなのかも知れない。

そうなりゃ家畜だ。

毎日のご飯の心配をしなくていい代わりに、必ず屠殺場で処理される。


どっかで牧場から逃げ出す方法を、考えなきゃならないねぇ…。


思考や想像ってのは、騒いでる時には出来ないものなんだ。

私は哲学から「何かを得よう」とか、昔は思っていたが、今は思わない。「理解してやろう!」とも思ったが、これも今はない。

ただ、日常という静かな(そして強烈な)雑音に揺さぶられてガサガサにされている精神に「空白」を補給するために、言葉と言葉の間、文字と文字の間の「空白」を、ひたすら読み続けている。

これね、私の“つぶやき”なのよ。

こういう呟きができないからツイッターは嫌いなのよね。




五月雨に

浸る路肩に

身を隠す

敗者の美学

吾等の余白





なう。



今日の収穫

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今日は末広町から長浜までの、ちょっとした中距離散歩。

はい、奄美市博物館に行ってきましたよ。

古代遺跡からの出土品から復帰運動の頃のあれやこれやまで…

展示品からしてなかなかにディープでした(在任中に客死した代官の墓石が、階段脇にまんま置いてあるっ!!もうガン見し放題!触り放題!彫字なぞり放題!)。

資料室は「関係者以外立ち入り禁止」なんだけど、まぁ博物館の人と馴染みになるとか、「調査ネタ」持ってって資料出して貰うとか、手段は色々ありますわな。

それよりも階段に無造作に積まれている書物の山!!一階の何か囲ってあるところにテキトーに置かれてる住用公民館展示品(仏像とか琉球式墓石とかぁぁあう!)

お土産にコレ買ってきました↓
奄美のCD屋 サウンズパル ~ジャズ,ブルース,ワールド,島唄 ect...~-120215_234754.jpg

『津島家文書・明治四年末二月御廻文留写』

役人と島役との公文書のやりとりの写しなんですが、今ザーッと読んだ感じでは、まぁとにかく砂糖砂糖砂糖…。

薩摩藩時代の力による搾取よりも、新政府と商社による巧妙で周到な取り立ての方がヒドかったフシが伺えます。

島役達による嘆願に次ぐ嘆願の内容に、当時の奄美が如何に困窮していたか、「文明開化」の枠外に置かれていたのかを垣間見る事が出来ます。

また、犯罪人の手配書やスパイの通報、外国船の調査報告の微細な内容等諜報政治の基盤が磐石なことが、内政基盤の余りの貧弱さに比例して見事に浮き上がっております。

やはり「明治の闇」を明るみにする必要はありそうです。

あと、気になったのは復帰運動に使われていた“のぼり”に書かれた以下の文句↓

『復帰運動に少しでも反対する者は、民族総ての敵である!』

語られている“復帰運動の様子”と、このスローガンから受ける“温度“はあまりにも違う。…

引っ掛かります。

今のアラブと同じ手口です。

アチラは「独裁反対!」に、いつの間にか「イスラム政権を!」の声が紛れ込んで、そっちが“乗っ取り”に成功しました。

いわゆるイスラム原理主義団体の“雇い主がどこであるか?“というのは、もう言わんでも分かる常識でしょう。

おんなじような何かが、あの運動にも紛れ込んでいた。

それは“誰が一番得をしたか?”を論理的に突き詰めていけば解ることです。

島民は“得”をしてません、意図的に「下の下」に置かれて、元の「下の中」に戻されただけで、「運動」という演出が色を着けただけだ。

と、私は冷めた目で見てます。

これは感情論ではありません。

あくまで現実的に真実に迫る手段として『疑ってかかる方が、合理的かつ確実である』と思ってるだけです。

さて

歩いただけあって中々良い収穫がありました。

日々が“学び”です。

学問とは“世のため人のため”にあるいろんな物事の最たるもののひとつだ、と私は今頃になって思う次第です。


あ~

学校の勉強もっと真面目にやってたらよかったな~…

なんて(笑)



カケラも思ってません♪



レンジ回りがピッカピカ!

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第四玉手箱さんのブログ読んでたら「ブルース・ピアノ聴きたい病」のウィルスが活発化してきました(笑)。

だもんで今日は「何がなんでもブルース・ピアノの日」に定めたのですが、日中は図書館行ったり嫁のおつかいに行ったりと、何かと忙しい!

図書館には、自分の勉強をしながら、読者の方からの、とあるご依頼の手掛かりになりそうな資料も探しに行きましたが、今ひとつ“大当り”に恵まれませんでした。

今日目を通したのは十冊。まだまだ全部の書籍に目を通した訳ではないので、まぁそりゃそうかと。

「宗教」のコーナー、全体的に少ない割に、グノーシス関連の本がやたら充実してる!地元で密かに流行ってるのか!?グノーシス(笑)。

さて、家に帰って来たら本日最大の任務「ガスレンジの掃除」が、待っておりました。

長丁場必至なので、まずはセッティング音符

奄美のCD屋 サウンズパル ~ジャズ,ブルース,ワールド,島唄 ect...~

本日のmusicはリトル・ブラザー・モンゴメリーの「Chicago-the Living legends」!

いよっ!待ってました!ブルース・ピアニストの中のブルース・ピアニスト♪

戦前から活躍する人で、その“必要最小限の音で全てを表現するスタイル”と言って良いのか、とにかく「ブルース・ピアノっつったらこんな感じだろー」みたいな確固たるスタイルを極め尽くしてる人です、はい。

このレコードは戦後60年代になって録音されたものですが、その“無駄がなくて無理もない”都会派ピアノ・ブルースの典型とも言えるスタイルは健在。

収まるべきところにピタッ、ピタッと音が収まり、余韻がキュ~っと染みる。

なんて説得力溢れるピアノでしょう、あぁよろし~♪

たまに歌も唄うんですが、これまた絶妙な脱力感で聴かせますね~♪

バックバンドも、“古き良き時代”のエスプリを自ずと放つ古老のジャズマンを、これまた絶妙に選んでいて、特にデッド・バッターマンのまろやかなコルネットの音色がよろしい。

こういう音楽にゃ、やっぱりトランペットじゃなくてコルネットでしょ~。

ゴキゲンでフンフン言いながらレンジに重曹かけてゴシゴシ…。

うん、良い感じにピカピカになってきた♪

おっ、ちょうどA面終わったからB面にひっくり返してと…。



ぐあっ!


手ェ油まみれで、レコードひっくり返せんがなー!!



くっ…(><。

つうことは…


奄美のCD屋 サウンズパル ~ジャズ,ブルース,ワールド,島唄 ect...~

アールグレイとトッポ(いちご味)も


掃除終わるまでおあずけじゃがなーー!!



まーあるある、こーゆーこともあるっ(汗)

と、いう訳で

掃除中はオートスタートボタンを小指で押して、A面をエンドレスで…。

B面にうっとりしながらの優雅なティータイムは、レンジがピッカピカになった日没後に…。

はは、は…。

佳い漢(よいおとこ)

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パル常連のo君から「俊礼さん!今度語りましょう!」と、メールがあったので、今日の「夜の散歩」に付き合ってもらうことにしました。

彼は高校生で、この春卒業して、内地に上ります。

「一時的休業」ということではありますが、お店閉めて、特に学生である彼らの世代との繋がりを失ってしまったような気になって、正直淋しかったんです。

それでもo君のような若い人が、まるで何事もなかったように「俊礼さーん!」と、声をかけてくれる。

どころか、当たり前のように「友達」として接してくれる…。

有り難いですね、泣こうごとある…(嬉)。

彼は受験のために東京へ行って、素晴らしく刺激を受けたこと、そして“夢”を見付けたこと、そして相変わらずの、世の中に対する“怒り”を、私にたくさん語ってくれました。

人が聞いたら、いや、彼の言う学校の先生みたいな「出来た大人」からすれば、私達の話は、幼稚でくだらないものかと思うかも知れません。

私自身、「幼稚でくだらない大人」だという自覚は十分あります。

現に無職だし、カネないし(笑)

けれども彼は「本気」であり「真剣」です。

そういう熱さを思い出させてくれたその時点で、彼は“佳い漢”です。

つまり今日の私の“先生”であります。

負けておれない私も、夢中で夢を語り、そして音楽を大いに語りました。
忘れてしまいがちな、大切な純粋さを、私はいつも彼のような若い人に思い出させられます。

そりゃもう顔面にいいパンチ貰ったぐらいに強烈に(笑)。

私が“出来た大人”に成り下がらないように“先生”が渇を入れてくれた。

気が付いたらかなりの距離を歩いておりました。明日筋肉痛になるのは必至です、武道で鍛えている彼は筋肉痛にならんでしょう。

してやられた、俺の負けだ(笑)

「自分そういえば、俊礼さんから本借りてたっす!」

奄美のCD屋 サウンズパル ~ジャズ,ブルース,ワールド,島唄 ect...~

あ~、確かそうだった。

安吾に寺山に水谷先生…。

水谷先生の本はいいとして、俺はやっぱりダメな大人だなぁ~。

まぁいいか♪

o君今日はありがとう!

またたくさん語ろうぜ♪

人類の営みに紛れ込んだ異物としての“神”

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今日は調子があまり良くなかったので、家でずっと読書しておりました。
旧約聖書、ひふみ神示、新約聖書、グノーシス関連、スッタニパータ…。

ふむ、疲れた…。


疲れた理由は旧約聖書とひふみ神示です。

両書共に「神の言葉」(とやら)が書いてあるんですけど、アタシにゃどうもこの、“ふたつの神さん”(旧約では“ヤハウェ”ひふみでは“ひつくのかみ”)が、同じ意識体なんじゃないかしらと思えてならない。

つまりは“モノ”だと。

あんまり深く突っ込む気力は今日はないんで、ほどほどにしておきますが、まぁ思ったことのほんの一部を書いときましょうか…。

人類はかつて、脳味噌をフルに活用することが出来て、現代人がとうてい敵わないほど、豊かな精神文化の中を生きていたのではないかと思います。

ところがある時、全く知らない世界から、文明を持った何者かがやってきた。

そしてそいつは人類にこう言った。

『私は神である。私の言うことを聞くヤツはいいけれども、逆らったり私以外のものを神としたらヒドイ目に遭わせてやるぞ!』と。

で、実際に言った通りのことをしたんでしょうな。

街を滅ぼしたり洪水を起こしたり、干ばつや飢饉を起こしたり…。

だから人類はそやつの言うことを聞くようになり、女子供を含む色んなのを捧げて、見返りに文明とやらをちょっとずつ教えてもらった。

そうこうしているうちに人類とそういう“モノ”との混血がどんどん進み、やがて本来使えてたはずの脳の力がちょっとづつ使えなくなって今に至る。

つまりイヴをたぶらかして“知恵の実”を食わせた『蛇』こそが旧約のヤハウェであり、今現在ほとんどの宗教の、荘厳華麗な大神殿の奥の奥、または教祖様の背後にいて、あれやこれやとのたまえる“主”の正体なんじゃないかと。

まぁこういうおとぎ話を、今日は考えておったんです。

考えるだけで疲れますなぁ~(笑)

てなわけで今日は寝ます。

今日は散歩

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今日は前の職場にちょいと用があったので、歩いて小浜町まで…。

会社には部長がいて

「お~う、元気そうじゃ~。よかったよかった音符

と、言ってくれて、他の先輩方何人かも喜んでくれました。


有り難いですねぇ…(泣)

まっすぐ帰ろうかと思ったのですが、やっぱり散歩のメインは“街の巡回”!街の人達と会わねば落ち着きません。

今日はヒロ君のお店に「トルトゥーガ」にお邪魔してきました♪
http://m.ameba.jp/m/blogTop.do?unm=tortuga-amami&frmsrc=checklist_f&frmUnm=soundspal&guid=ON
「ひっさしぶりっすねー!元気でした~?

「うん、まーぼちぼちぃ~。」

とか何とか5分も話しないうちに
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“看板娘”のシス嬢がダーッと駆け寄ってきます。

これ、いつもの展開です(笑)

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私は何故か彼女に愛されておりまして、トルトゥーガ行ったらいつも彼女の“遊んで遊んで攻撃”に遭って、私は私で「あ~よしよし♪うぁ~よしよし♪」と、ムツゴロウさんの如く戯れに戯れます。

たまにそれが「延々1時間」とかになったりしますが…ガーン

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久々に会うのに、私のことちゃんと覚えてくれてるんですよ!

もーかわい~!

てか、今日はマ・レイニーについて書きたかったんですが、遊び疲れたから“マ・いいか”。

お粗末っ(汗)


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いかーん!

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今日は晴れてていい天気ですな~。

浪人者の私には「晴耕雨読」の生活は理想です。
山里で自給自足しながら晴れた日は畑を耕して、雨の日は静かに本を読む…。

しかし、実際に農業で食って行けるのか?となると現実はそう甘くありません。

家業の農家や漁師や伝統工芸、はたまた地元小さな商店の仕事をする若い人がいない。

これをマスコミは「後継者不足」と云いますが、本当のところ、若い人達は“したい”んです。

自然と触れ合って、或いは人と触れ合って、「何かを作ってる!」「何かを繋げてる!」と、誇りに思える仕事を。

しかしこのテの仕事は儲からない。

マトモに真面目にやるほど“食べていけない”。
奄美でも、農家や漁師や大島紬は大変です

「父ちゃん、俺高校出たら父ちゃんの後継いで紬やりたい。」

「やめとけやめとけ、紬じゃ食えん、内地上って会社入れ!」

てな具合です。

紬なんかは結構若い職人さん達が頑張って、独自の発想で面白いことやって注目されてるんですけどね、それでも「いや~、食っていけるかいけんかギリギリですよ。」

と。

本来ならば「生産者」が一番儲からなければならないんですけどね。

どこで何がどうなってるのか、それとは逆の向きにどんどんお金が流れよる。

お百姓さんが一生懸命育てたものを、漁師さんが命懸けで海で採ってきたものを、職人さんが精魂込めて作り上げたものを、商売人が幾ばくか色を付けて売る。

その上前をピンハネしとる連中が、CEOだかCO2だかエコノミストだかテトリスだか、まーよく分からんが、そういうトンパチな肩書き付けてテカテカしとる。

「作る人」が一番偉いんど!

その人らにキュウキュウさせて何が株価じゃ社会保証じゃ!

と、まーこんなことを言うと、「お前議員になれ」と言われたりしますが、こういったことは本来フツーの人が、つまり市町村民が当たり前に考えるレベルのことであります。

何の話でしたっけ?

興奮して忘れたがな…。


ぐわぁ、マ・レイニー!!

ちくしょー、後で書きます…(>

ココアブレイク(お母ちゃんやでぇ~♪)

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気を取り直して本業いきます(俺は音楽を語りたいのよっ!たーっ)!

予告通りマ・レイニーさんですよ~音符

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音楽史家的にいえば、マ・レイニーは、かの“ブルースの皇后”ベッシー・スミスに多大な影響を与え、かつ彼女の才能を見出だして世に送り、そのベッシー・スミスに影響を受けまくったのが、ビリー・ホリデイとジャニス・ジョプリンであり…。

と、まあアメリカの偉大な女性シンガーの影響を根源までたどれば、どこかで必ずこの人にぶち当たります。


彼女の芸名の“マ”は、ママでありますが、その名の如くアメリカン・ミュージックの“おかあちゃん”なのであります。

実は戦前、特にレコード初期の時代は“ブルース”つったら女性シンガーが、バックに洒落たジャズ・バンドなんかを従えて歌うのが人気でした。

逆に、今現在私達が“戦前ブルース”と聴いて思い浮かべる男性弾き語りブルースマン達は知名度はおろかレコーディングの機会すら、ほとんどなく、その多くは南部の盛り場や街辻などで日銭を稼いでおった訳です。

何でか?

当時のレコードは、とてもとても高価なものであり、一般家庭ではほとんど見かけないシロモノであったので、必然的に需要は「都市部の金持ち」に限られたものでありました。

南部の貧しい労働者達はもちろん、当のブルースマン達ですら「レコード?何だそりゃ。酒か?カネになるのか?」(酒は、言い過ぎかガーン)ぐらいの、まぁ普段の生活とはほとんどと言っていいぐらい縁のないものであった訳です。

逆を言えば「蓄音機、レコード」というのは、ハイ・ソサイエティのシンボルであり、聴く側が「何となくハイソなやつ」を求め、作る側もそのニーズにせっせと答えるため、「華のある女性シンガーで、バックは有名どころのジャズ・バンドを!」追い求めていった結果、そういったレコードばかりがリリースされ、これがまたよく売れた。
女性シンガー達はレコードが売れることが宣伝になり、大きなホールや劇場できらびやかな衣装をまとい、その美声を響かせておりました。

さっき言ったベッシー・スミスなんかは、そんな「(悪く言えば)紋切り型の似たようなブルースばかりのレコード界」の中でもズバ抜けた実力と個性を発揮していたんだから、その歌声たるや、やはり神懸かったものであったと言ってよいでしょう。

で、マ・レイニーなんですがね、あの~、今までの展開をひっくり返すようで本当に申し訳ないんですけどね、彼女は当時のそんな「紋切り型」にまず入ってなかった。

まず、彼女は引退するまでずっと、旅芸人一座のシンガーとして各地を巡る音楽人生を貫き通してたんですね。

「さぁさぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!これから楽しいショーが始まるよ~♪何と本日のショーはみなさんご存じマ・レイニーの楽しい歌に、ジャグ・バンドのオマケ付きだぁ!その他にも楽しいお芝居や見世物盛りだくさんだよ~♪ウチの商品買った人は、何と入場料半額だぁ!今日だけだヨ、明日ぁないヨ。さあさあ見なきゃ損損買わなきゃ大損だ~い!」

てなノリの、ややイカガワシい空気漂う“ミンストレル・ショウ”とか“メディスン・ショウ”とか呼ばれてた「物売り+見世物」日本で言えばテキ屋さんですな。

「“ミンストレル”とか言われても分からん!て人には、あ~…神社やなんかのお祭りがあるでしょう。

そうそう、食べ物だとかお菓子とかオモチャとか、見世物小屋とかネ、金魚すくい?惜しいね、流石にアメリカにゃあないよあのテのヤツは(笑)。

そいでもってメインが境内に舞台おっ建てる奉納舞踊に歌謡ショーだ。

そんなのがぜ~んぶまとめて何台かの馬車やに乗って、街の広場や村の集会場みたいなとこに鳴り物入りでやってくる。

南部みたいな娯楽の乏しい所では、こういった一座がレコードやコンサートなんかよりも全然「日時に近いもの」でありまして、“どこそこのショーがくるぞぉ!”ってなると子供からお年寄りまで押すな押すなの大人気だったと云います。

人が集まってきたら外にいる物売りが口八丁手八丁で色々とイカガワシイ物を売ったりする訳だ。お客さんがまぁ半分騙されたと思っても、テントの中でマ・レイニーみたいな“すんごいシンガー”が歌ってたりすると、もう元は取れますな(笑)

いかんいかん、どうもこういうノリになってくると血が騒いで長文になっちゃう(苦笑)。


とにかくマ・レイニーという人は、華やかなショウビジネスの世界とちょっと距離を置いた、よりリアルでなまめかしいブルースの現場に生きた人で、その歌いっぷりも実に豪快で泥臭く、そんじょの男性シンガーよりもパンチがあって貫禄も豊かなものです。

実を言うと私、初めてCDを買った女性ブルース・シンガーが、マ・レイニーでありまして、この「Pヴァイン、ブルースの巨人ベスト」を、発売当時の95年に“CDがお店に並んですぐ”ぐらいの時に買いました。

当時私がハマッていたのが、サン・ハウス、レッドベリー、ブラインド・レモン等々、戦前のドロドロにディープな人達ばかりでしたが、いや、マ・レイニー、彼らに全然負けてない(!)

このアルバム、流石にベスト盤だけあって、バックが多彩です。

小編成ジャズ・バンドあり、ストリングス・バンド(ギター、バンジョー、マンドリン)あり、ジャグ・バンドあり、そしてお約束のオーケストラ・バックもあるんですが、バックがどんな色であっても、その野太くも表現力豊かな声で見事「アタシ色」に染め上げてくれております。

一言でいえば「むせかえるような土の香り」です。

女の人の声を“土”なんて言ったら失礼でしょうが、ブルース的にはコレ、最高級の賛辞です。というよりも土の臭いのしないブルースなどブルースではないっ!!

とにかく最初っから最後まで“濃い”の一言に尽きますが、混じりっ気ナシのブルースマン達でバックを固めた後半なんか、古い録音のくせにやたらライヴ感があります。
ジャズ・ファンにもちょいと耳寄りな話をすればこのアルバムには若き日のルイ・アームストロングと、コールマン・ホーキンスの好演も聴けますぞ。

で、今日の飲み物はドンとココア!茶菓子はガッツリ黒砂糖!

短くまとめようと思ったらやたら長くなってしまいました。

むぅ…、まぁいいか。


あ、そうそう。

もしメディスン・ショウが来ても、アノ人達が売ってる“薬”、買っちゃダメですよ。

アレ、ただの水に絵の具混ぜただけのインチキですから…(笑)


いい加減寝まっす音符

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