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春ですな
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今日もココア飲んでます
何だかブルース聴くとココア飲みたくなっちゃいますね♪
何でだろう?(笑)
コチラ愛用の“ココアカップ”友人夫婦の結婚の引き出物です。
手作り感が良いです、ココア飲むんならこんぐらい武骨なカップで飲みたい。
あ、奥にいるセキセイインコは、水浴び直後でご機嫌な“わーにゃくん”です
奄美は、やや湿度高めのお天気。
こんな日こそお気楽に行きたい!
てなわけで今日は“お気楽&陽気”なストリングス・バンドなんかどうだ!てことで。。。
『Coley Jones&The Dallas Strings Band/1927-1929 』(MATCHBOX)
“ストリングス・バンド”については、昨日ご紹介したマ・レイニーの文でちょこっと触れました。
読んで字の如く“弦モノ楽隊”のことであります。
便宜上ブルースのカテゴリーに置かれますが、彼らブルースはほとんどやりません。
むしろ流行り歌やバラッド(民謡)といった、「ブルース以前の音楽」を演奏することの方が多い。
何でか?っつうと、ストリングス・バンド全盛時の1920年代は、ブルースという音楽自体が新しいものであり、まだまだ一般大衆に知られていなかった(“本場”であるはずの南部より、都市部からブルースの流行が広がった。というややこしい経緯は昨日も言ったレコードの普及と関係してます)というのと、ブルースが“夜の(酒場の)音楽”であったのに対し、ストリングス・バンドの音楽は“昼間の音楽”だったという二点に尽きるでしょう。
ストリングス・バンドというのは、ミンストレル・ショウや昼間のピクニック(ちょっとした野外パーティー)の主役でありました。
客寄せや、和やかで賑やかなムード作りのための、言わば“お囃子隊”でありますので、努めて陽気で分かりやすい楽曲を演ずる必要があったのでしょう。
このアルバムにも一応3曲のブルース・ナンバーが入っておりますが、“しんみり”というよりは“まったり”なアレンジで演奏されとります。
ギター、マンドリン、バンジョー、フィドルといった弦楽器達が、全体的に和やかで華のある演奏を繰り広げる、実にオツなアルバムなんですが、わたくし、実はこの人達がどういう人達だったのか、あんまりよく分かりません(汗)
↓(YouTubeで何曲か聴けますが、コレ見れるんかい?携帯で書いとるからよくわからん…。)
http://m.youtube.com/watch?desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3Dhq4ATjxSfNc&v=hq4ATjxSfNc&gl=JP
いや、戦前ブルースを聴く楽しみのひとつとして「どこの誰だかよー分からんヤツを聴く」というのがあるんですよ。
戦前ブルースの世界では、ブルースマン達の「その後の消息」が不明だったり、バイオグラフィ的なものが一切謎だったり、写真すら残ってない、とかいうことかままあるんです。
しかし、そういう何だかアヤシイ、得体の知れない世界だからこそ、想像力を刺激して、聴く人を“心の旅”に誘ってくれるんですね。
このレコードは、ビニールジャンキーなら誰もが知る下北沢の名店「フラッシュディスクランチ」で堀当てたブツです。
私の中では「フラッシュに行く時は、なるべく訳の分からんアヤシいブツを買うのだ!」と、心に誓っておりました、そして期待に違えずに毎回“アタリ!”をエサ箱の中に、あのお店は潜ませてくれてました。
レコード“買う”までのクワクドキドキ感が、音楽聴くためのかけがえのない“楽しみ“ でありましたね。
ふむ、税込み\1280。
十何年も前の話だけど、我ながら良い買い物をしたなぁ~…。
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木蓮とパルティータ
今日は散歩というより雑事。
結構な荷物を持って結構な距離を歩いた。
フワッと良い香りがしたので見上げたらやっぱり木蓮が
“いつもの場所”に咲いていた。
花は誰かに命じられて咲くのではない。
何かを欲して咲くのでもない。
根から幹、幹から枝、枝から花へと流れる養分の巡りが内にあって
雨や風、温度や日照時間などの微細な空気の変化を一瞬も逃さずに感じる働きが外にある。
その絶妙な“内と外”の、目には見えないが確かに存在する何らかの理力が連携や和合し、結果として花は“おのずから”咲く。
今、私の中にはある命題がある。
その一つは「“力”を使わないこと」ということだ。
日常に於いては“力”というのは、草花の“内と外”のようなものでなくてはならない。
争えば即ち負け
競えば見失う。
我欲や惰性に因らない「おのずから」でありたい。
故に一瞬の光景からも、学ばされることは多い。
今日は何だか文学的な気分だ。
こんな時不意に、阿倍薫が聴きたくなる。
『阿倍薫/彗星パルティータ』(コジマ録音)
アルトサックス一本による、無伴奏インプロヴィゼーション(即興演奏)。
彼の吹くものは“曲”ではない
いや“音楽”ですらないのかも知れぬ
でも“うた”ではある。
鋭くて、重たくて、哀しくて痛い。
音楽となると、その他に色んなものが必要になってくるのだが、“うた”であるだけならば、それだけあれば十分だ。
そんな彼の“うた”に、私はいつも参ってしまって、とりとめのないコトバを吐きたくなってくる。
以下は四年ほど前に書いた駄文に少し修正を加えたものです。お目汚し誠に恐縮であります。
『春』
深緑が寒さを拭い去り
緋色の風がこめかみを抜けて行く
時に死者たちは
時に生者たちは
空の青色になすすべもなく
皆一様に陽の光を浴びて
それぞれの殻に
手足を生やし
やがてパキパキと
軽快な音を立てながら
大胆にも
誕生めがけて一斉に泳ぎ出すのであった
それぞれの手足はそれぞれに
へばりつく情念を懸命に振り払いながら
或いは迷いなく回り
或いは分解と融合にもみくちゃになりながら
同じ航路をびっしり埋めて
ただ一直線に向かってゆくのである
消滅は春に絡め取られているのだ
やがて歓喜は緋色の風となり
またこめかみを抜けて行く
束の間の中の永続
または無限分の刹那
時に死者たちは
時に生者たちは
空の青色になすすべもなく
サカキガサイタ
我が家の神棚に活けてある榊が何と開花しました(!)
「花が咲くこと」について書いた次の日に、何とまあ素敵なことでしょう。
有り難いことであります。
さて、本日は音楽酒場「マリンブルー」でテナーぶっ放してきます。
愛機「ゲルググ」(YANAGISAWA T-900なんですけどね、ゲルググの量産型が好き過ぎて勝手に命名したのです。
http://www.youtube.com/watch?v=qgEFybEUsEc
(ゲルググのプラモデルを本気で作っておられる方の動画。凄いっ!アツい!)
抹茶アイスみたいなあの絶妙な緑色たまらんっ!←馬鹿)で、ちょっくら全滅させてきます。
イベントは今夜8時ぐらいからはじまるとのことですので、どうぞよろしくお願いします。
大セッションの夜!
え~っと、現場にいたのはウッチーと我がIricoの金井チンとタミーと赤道直下のメンバー3人と、コウキさんとおセンちゃんとナヲコちゃんとrio嬢と、ほいからマリンブル店長金城さんとサトミちゃんか…。
いきなり鍋ぐっつぐつでミョ~なユルさが充満してた店内が、一気に緊張感バリバリの“戦場”と化したわけです。
口火を切ったのは私のテナー・ソロでしたが…(苦笑)
そっから金井チンギターが合流して、Iricoの「Right God&Left God(God is Know)」を、テナーとギターのデュオでやり、途中からタミーにドラムで参加してもらい…。
で、私のファースト・セットが終わってから赤道直下!!
コチラもインスト・バンドですが、我々とは真逆のアツい(熱い、暑い、厚い、のフルコース♪)サウンド!!
いや~「ベーリング海辺りで遭難した船がマダガスカル沖合いで燃えてた。」みたいな感じ…、すいません、言葉にできない部分はご想像ください。
んで、金城氏を囲んで、ほぼ全員入り乱れての総力戦!!
「つうかみんな音デカッ!!」
な中、一人生音でブンブン吹きまくってましたが(ここらへんから、脳内物質大量分泌により、あんまり記憶ない)、お巡りさんに「すいませ~ん、ちょっと近所から苦情が~…」と、我ら全員やんわりたしなめられて怒涛のインプロ・ナイトは、一人の死傷者も出ず(酸欠でアタシがヤバかったです。いやホント…。)閉幕。
テナーようやくしまって、そっから私のセカンド・セット。
あれ?弾き語りでブルースやったよな~??ぐらいにヘロッヘロでした(注:体質的に呑めないのでアルコール1滴も入ってません)。
最後にカラオケで浜田省吾の「J.Boy」熱唱してた赤道直下トクちゃんの姿がいまだに脳裏から離れません…。
とてもとても楽しい夜でした。みんなありがとうございましたー!
音楽ってやっぱりイイな~♪
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オープン以来の大常連、oさんからの真心
玄関から“縄張り”の様子をじっと伺うメル氏。↓
私の“弟猫”です。
コイツがまーカワイくないヤツで、シカトするわ暴れるわ生意気だわ自分勝手だわで、最初私と仲が悪かったんですが、最近すごく通じあっています。
「このバカ猫は…」
と、思いつつも「何か、誰かと似てるぞ…?」と思ってたんですよね。
そしたら巡り巡って思い出しました(!)
『コイツ…、ガキの頃の俺とそっくりだ!!』
と…。
まぁ何だかよくわかりませんが、多分ウチの両親に育てられると、人間だろうが猫だろうが“こんなに”なってしまうみたいです(苦笑)。
私が「あ~そうか、そーゆーことか…」と悟ったのを、彼も察してくれたのか、そこからまぁ
「よぅ兄弟」
「何だよ兄貴ィ」
みたいな“無言のコミュニケーション”が成立して、まぁ一応私には一目置いてくれてはいるようで、最近はシレッとしつつも、甘えたい時だけ一丁前に「みぇぇぇぇぇ~…♪」とか言って甘えてきよります(笑)。
そんな実家に、昨日はサウンズパルがオープンしてから27年、ず~~っと通い続けてくれていた、大常連のoさんがわざわざ訪ねて来てくれて、親父と多いに語ったみたいです。
ここ数年は島外にお住まいのOさん、それでも月に何度か帰ってくる時は必ず顔を出して買い物してくれたり、電話注文で取り寄せなさったり…、本当にお世話になりました。
多分サウンズパルのことを私より知ってる方はこの方ぐらいしかいらっしゃらないのでは…?
そんな方から「楽しみにしてるからね♪」という感じの激励の言葉を頂き、本当に有り難い限り…、そして親父も私も気持ちが奮い起つのです。
oさん、いつもありがとうございます!
そして楽しみに待っててください!!
「真心」タップリ詰まったケーキ、いただきましたー!
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カミ
雨ですな…。
今から散歩に行ってきます♪
あ~、以下は雨をボーッと眺めていたら心に浮かんだ言葉らしきものです。
適当にお読みください。
『カミ』
カミはヨゲンしない
予言も預言もない
有るものを使わずに
何でないもののことばかりを追うのか
ないモノに手を出して
カミツカレてはいけない
神疲れ神憑かれ噛み付かれ…どれも
ないモノだ。
…ふぅ。
いろんな意味で世の中騒がしくなっとります、嫌なニュースや気持ちの悪い事件も頻発してますが、とにかく自分の頭で必要なことだけを考えて、その頭を低く低くしていきましょう。
大袈裟なものや派手なもの、やかましい人やお喋りな人に乱されず、静かな時間を大切にして、“気”をきちんと持ちましょう♪
と、何か神父さんとかお坊さんの説教みたいになってきたので今日はこの辺で…。
よし!
シェイクソピアはまぁいいとして…笑)
アレは何年前でしたかね、大熊の港に友達連中と行って、何か相当遅くまで語り込んだ夜があって、友達連中が買い物行ってる間、1時間ぐらい港で一人ボーッとしてたんですよ。
そのちょっと前におっきなボス猫みたいなやつがのっそり出できて、私から1mぐらい離れたところに座ってジーッとしてましたから、私は彼を“センパイ”って呼んで、適当に話し掛けてたんですね。
友達連中が車だしてからも、センパイそこに座って微動だにせず、ジーッとしてる。
シーンとした港に私と猫、その雰囲気がすごく心地よかったですね。
“センパイ”は私がいるのは分かるけど、別に気にしてないどころか、彼が“仲間”というか、少なくともまあ敵とか邪魔者とか全然思ってないよって空気が、横からユル~く伝わってくる。
何とも深いところにおるなぁ俺…と思いつつ、ひたすらボーッっとしてました。
午前4時半ぴったりに、センパイはスクッと立ち上がって、スタスタ帰って行きました。
センパイの後ろ姿に「お疲れさまでした~」と、軽く挨拶して、海の方ふり返った瞬間、沖から何かくる気配を感じたんです。
「群れ!?海の中だ!」
って思って海中をガッと見てました。
しばらくもしないうちに、銀色の細長いものがスーッと護岸に近付いて来ました。
よく見たら何とタチウオです(!)
気付いたらそこら中がタチウオだらけになってました。
深海魚のタチウオが、まさかこんなところに…、しかも大群…。
言葉もなくそんな不思議な光景を凝視してたら、車のライトが背後からパーッて迫ってきて、友達連中帰って来ました。
私は興奮して、海の中指差して「タチウオ…!タチウオ…!」て小声で言ったら、その群れは素早く四散して沖に消えて行きました。
友達連中も「あ、ホントだ!何か細いのがパラパラッている!」って言ってたので、去って行くのは見たんでしょう。
後日先輩から「あ~、大熊はタチウオ釣れるっていうよね」と聞いたので、アレは幻ではなかったんだなと思ったんですが、いや、実に不思議な光景でした。
タチウオってあんな風に群れで岸の近くまで来ることってあるんですかね?
同じような光景を見たことある方がいたらご一報ください。
いや、何かホントに不思議な感じしたので…。
アールグレイに生姜黒糖を砕いて入れて。。。
今日の奄美は
「なんじゃこりゃ~!」
てぐらい暑かったです…。
気候変動が激しいこの時期は、風邪をひかないように気を付けましょうということで、アールグレイに砕いた生姜黒糖を入れていただきました。
“お茶の共”はコレ↓
『The Essential Recording of Piano Blues and Boogie』(Indigo)
戦前のブルース/ブギウギ・ピアノの“選りすぐり”ばかりを集めた、心も弾むゴキゲンなコンピレーション盤です。
アルバート・アモンズ、ジェームス“ピート”ジョンソン(天下のブルーノート・レーベル誕生のきっかけを作った人達ですぞ!)、リロイ・カー、ルーズベルト・サイクス、カウ・カウ・ダヴェンポート…、ええぃキリがない!
とにかく「ブルース・ピアノ聴くんだったらコレは聴いとけ!」なレジェンド達の「コレ聴いてりゃいいんだよ!」な曲ばかり、まぁよくもこんなに集めたね。てぐらい収録されております。
曲はほとんどタテノリのブギウギばかり(いゃっほぅ♪)なんで「俺は難しいことわからん」て人でも楽しめ…や、むしろブルースなんて知らんって人こそ聴きなさい!
こがぁなゴキゲンなの聴かんで何が楽しいの、楽しくないじゃない、おぅ?
と、何故か最後の段だけ「仁義なき戦い~広島死闘編」の大友勝利のモノマネになってますが、気にしない、気のせいです。
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曜日は燃える、曜日は燃えない。
『街 !! 』
はきめられた日の朝
八時三十分までに出して下さい。
曜日は燃える
曜日は燃えない
名瀬市役所
経年変化によって赤色の塗料が色褪せて、このようになっているのだが、詩情を感じる文章だ。
「はきめられた」という単語の必殺技的な響きと「曜日は燃える、曜日は燃えない」のくだりがいい。
特に後者は何やら哲学的な問いかけのようでもあり、達観した悟りの言葉のようでもある。
偶然出会った文章に、これまた偶然宿った言霊の神秘に深く感銘を受けた。
が、同時に寂しくもあった。
考えてみれば、私はここんとこずっと、日常生活の中でそういう「言霊の息吹き」みたいなものを感じていない。
そういうのは、音楽の現場や、触発力豊かな人のところや、本やCDレコードの中に“自分から求めに”行かないと出会えなくなってしまっている。
これは「ような気がする」とかそんなレベルじゃなくて、ハッキリと「意図的に」なレベルだと思う。
ミルフォード・グレイヴス(世界的パーカッショニストであり、医学、武術等あらゆる学問に精通している人)が、かつてテレビのインタビューで
『口に入れる食べ物と同じぐらい、耳に入れる音楽は大事にされなければならない。』
と、言ってたがその通りだ。
耳や目といった、脳に限りなく近い位地にあって密接に関係し合っている器官に触れるものが、なんかもう意図的に軽んじられ、ズタズタにされてるのが今の社会だ。
コレが現代の「1億総ヒステリー状態」の全ての根元であると言い切って良い。
そんなことを指摘する人がほとんどいないまま、テレビは悪意を煽るワイドショーと、雛壇に芸人を並べ、ひたすら大声で騒がせるバラエティと、理性を抑える食べ物番組やテレフォン・ショッピングだらけになった、もう書くだけで疲れてくる…。
「昔はよかった」なんて論陣を張って完結させたいところだが、これも誘導なので私はしない。
こんなことを書くと陰謀論系の人だと思われるけど、生憎私は“あのへん“は、一旦全部否定して、自分の経験と裏付けてピースが合うものしか信じないようにしている。
ロスチャイルド云々言う前に、どの業界にも妖怪はいるし、それこそご近所レベルのコミュニティにすらモンスターはいる。
向学心に富む方には、まずは身近な目標を、射程距離内の背後から、冷静に観察することをお奨めする。
問題はそれを“どう捉えるてどう考えるか”だ。
話がそれすぎた、いや、それてないか…(苦笑)。
曜日は燃える
曜日は燃えない
意思あるところに言霊は宿る。
ぬん♪
かうかう
今日はまったりと緑茶と型菓子(地元では「ムスコ」と呼びます)。。。
で、まったりとブルース・ピアノ
『Cow Cow Davenport/The Accompanist 1924~1929』(document)
戦前ピアノ・ブルースのパイオニアの一人、カウ・カウ・ダヴェンポートの初期録音集ですねぇ~♪
後に、色んな人達がカヴァーしたり、曲の下敷きにした(有名どころではDr.Johnの「Mess Around」なんかがそうです)「Cow Cow Blues」の大ヒットによって、ブギウギ・ピアノの名手として知られることになる人なんですが、コチラでは色んなシンガー達のバックで伴奏するカウ・カウの、洒落たピアノが目一杯楽しめます。
ドラ・カーとの、夫婦漫才みたいなユーモラスな掛け合いや、笑い声で唐突に唄が始まったり終わったりする(!)ハウンド・ヘッド・ヘンリーの豪快なヴォーカル、ドゥー・ワップの原型とも言うべき見事なハーモニーで聴かせるサザン・ブルース・シンガーズなどなど、個性豊かな歌い手達の伴奏を、ほとんど一人でこなしてるカウ・カウの、ピアニストとしての確かな腕前にご感服あれ♪
代名詞とも言えるブギウギ・ナンバーは聴けないものの、戦前ブルース・ピアノの渋~いカッコよさには存分に浸れます。
なんつっても再生始まった瞬間に「シャー、プツブツッ…」というSP盤特有のスクラッチ・ノイズの“上等なやつ(や、この感覚解るヤツぁビョーキなんですけどね・笑)”がよろしいな~♪
あと、このドキュメントというレーベルは、戦前ブルースマン達の残された音源を、録音順に余すところなく収録してリリースしてくれる有り難い(つうか奇特な)レーベルでありまして、ジャケットなんかも全部、モノクロに写真と文字だけベラーっと貼っただけの、徹底したローコスト・ハイクオリティであります。
そんなドキュメント・レーベルの「聴きたいヤツだけ聴けばいい」みたいな、硬派を通り越してもうなんか求道的ですらある会社の姿勢みたいなのもまたよろしい。
たたかう
『この世のあらゆる素晴らしい音楽は、すべてレベル・ミュージックだ』
というのが私の持論です。
パンク、ブルース、ジャズ、ヒップホップ、タンゴ、アフロ・ビート、ヒップホップ、シャンソン、ルンバ、ファド、ソウル、ファンク、レゲエ、ハウス、レンベーティカ、演歌師の演歌、フォーク、シマ唄、フラメンコ、ヒルビリー…。
と、好きな音楽は限りありませんが、どれも権威や権力とはまったく反対側の“庶民の喜怒哀楽”が、芸術の域にまで高まって生まれたものであります。
基本的に「何でも聴きますよ~♪」と、みなさんに答えるのは、ジャンルを問わず音楽の中に、「反抗の息吹」を感じるからに他なりません。
私は“闘う音楽”が好きです。
“闘う”というのは、権威や権力といった、得体の知れない巨大なモノに対して、具体的な批判を唱えるだけのものではありません。
時にコミカルに風刺したり、日常の中の身近な不条理に疑問を投げかけたり、支配や管理、或いは“与えられた自由”“作られた栄華”(こっちの方がタチが悪い)とは真逆の方向性を音でもって表現することも、立派な「闘い」です。
もっともっと分かりやすく言えば『それを聴いた人が、個としての思考や想像をたくましくする音楽』が、闘う音楽。
つまり本当の音楽だと思うのです。
逆に言えば、どんなに完成度が高かろうが、発想が斬新だろうが、歌詞にどんなに綺麗な言葉が散りばめられていても、そこに、上に述べたような「闘い」の息吹が感じられないものは、それは音楽ではありません。
私は学校で音楽ビジネスを学びました。
色んな夢や希望に満ちた未来への期待や、音楽に対する純粋な愛情は、そこで一旦粉々に砕かれました。
マーケティングというのは、『音楽好きな人をいかにだまくらかして盲目にし、自分の頭では何も考えられない状態』に持っていき、お金を出させるか?というマインドコントロールそのものです(音楽に限らず、だとは思いますが…)。
一番効果的で確実な“売り方”というのは
『テレビ、雑誌、ラジオといったメディアを媒体にして、売り出したいものを、さも”話題になっていて、売れてる”ように錯覚させること』
だそうです。
いわゆるギョーカイのやり手の人たちは言います。
「ムーブメントは作られるものなんです」
「大多数のリスナーが求めるものは、刺激が強くて話題性があるものです。刺激が弱まった頃に新しい刺激を与えれば、みんなそれを“新しい”と思って買うでしょう。中身がリバイバルであろうが関係ありません。」
「誰にでも分かりやすく、無害で良い印象しか与えない歌詞が、多くの共感を呼ぶのです。いくら文学的に優れていても、リスナーレベルで理解が得られない歌詞はマーケティング的には失敗作です。」
「“いい音楽”は、量産することができます。量産できない音楽はミリオンにはなりません」
と。
私が「養殖の魚に餌をまくみたいな感じですね…」と、皮肉を込めて言ったら「そうなんです!そこなんですよ!」と、真顔で言われました。
そんな人達の話をドップリ聞きながら、真面目にノートを取りながら
「オウム真理教ヤバイよね~」
「洗脳とかマジありえね~」
(当時毎日のようにオウムのことがテレビで取り上げられてた時代でした)
とか、私達は呆れるほど無邪気だったものです。
それでも私は、心のどこかで『全ての素晴らしい音楽は、レベルミュージックである』という信念を持っていたのでしょう。
いや、私の愛する「闘う音楽」達が、邪悪なマインドコントロールから護ってくれたのだと思っております。
卒業後はCD屋に就職し、生粋の“音楽バカ”な先輩やお客さん方に、徹底的に耳を鍛えられ、そこで初めて本当に勉強したかった「闘いのノウハウ」を学ぶことが出来ました。
私は音楽を聴き、社会のあらゆることに開いた感性で対峙するように心掛けました。
私にとって職場は道場で、ライヴは神聖な儀式で、街のレコード店や古本屋は、絶えず豊富なインスピレーションを与えてくれる聖地であり、喫茶店や美術館、時に“街そのもの“が、なんでも自由に学べる教室でした。
「現場」では数々の“闘う音楽”が、例えばヒップホップやパンクやレゲエが、“マーケティングの論理”によってファッション化され、作られたムーブメントによって意図的に毒抜きされ、大量生産されるインスタントにされる様を見てきました。
また、マーケティング論理の影響下にない、アンダーグラウンドな音楽や音楽シーンが、無意識に洗脳されたリスナーや音楽関係者に「マニアック」の一言で簡単に貶められ、真の音楽ファンの耳から不当に遠ざけられ、“なかったこと”と処理される不条理は、今やますます活発に進行中です。
「何でそんなことがまかり通るのか?」
そんな素朴な、憤りに満ちた疑問は、私の思考を更に刺激しております。
『シオン長老の議定書』(四王天延孝:原訳、太田龍:補訳・解説)
この本については、私はあえて多くを説明しません。
自分の意思で考え、より豊かで文化的な生活を送りたいと思っている人は、私なんぞに言われなくても、勝手に調べて思考するものと思っているからです。
できれば本を買って「あとがき」のところまで隅から隅までじっくり読み込んで頂きたいのですが、そこまでしなくても、タイトルで検索して頂ければ、中身はいろんなサイトやブログで取り上げられています。
私が音楽の、マーケティングという魔術の裏に気配を感じているのは、この議定書を書くような悪魔達(※抽象的な意味で使ってる訳ではありません)です。
『最も効果的な宣伝の方法は、それが宣伝であるということを大衆に気付かせないことだ。』
と、言い放ち、実際に大衆をマインドコントロールしていたのは、ナチス・ドイツ宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッペルスでしたが、この本にはそういった大衆コントロールの具体的な方法と、その目的が書かれています。
私達は、普段耳にしている音楽や、目にしている映像によって、常に“闘うこと”、つまり「自分の頭で考え、自分の意思で動くこと」から、無意識のうちに遠ざかるように誘導されているのです。
理由は簡単明快、カッコイイ音楽が当たり前に聴かれ、芸術や文化的な事柄について人々が本気で考え、精神的に豊かになったら「いかにだまくらかしてかすめ取るか?」ということしか考えている人達は、儲けを得ることができなくなってしまうからです。
生憎私は世界を変えようだとか、他人をどうこうしようとか、そういう狭い了見は持ち合わせていません。
資金や数や技術の力で行われるのは、何も生み出さない「争い」です。
それは獣のすることです。
生み出すことをせずに、奪い取るだけの獣は、奪えなくなったら共食いして、果ては滅びるのが自然の摂理です。
私があれこれ言わんでも、これは生き物の世界の中でそーなっておるので、そうしかならんのです。
人間は違います。
種を蒔いたら芽が出て実が成るのをちゃ~んと知っています。
色んな食べ物を効率よく育てて、食いっぱぐれがないように知恵を使い、多くを得るために工夫をします。
また、力が強いの頭がいいの、みんなの意見をまとめるの、…それぞれ違う良いところを持っているから、助け合いをします。
余ったら与え、足らねば貰い、そうやってやりくりができるのです。
これも私があーだこーだ言うまでもなく、自然の摂理でそーなっておるのでそうしかならんのです。
私は人間らしく、ちゃ~んと思考しながら、騙すとか操るとか、そういうしょ~もないことを考えなくてすむ、面白おかしい当たり前の人生を楽しみたいだけです。
繰り返します。
私はあらゆる素晴らしい音楽は、レベルミュージックだと思っております。
特に「幽霊が見える」程度の感受性をお持ちの方に言います。
その能力とエネルギーを“遊び”に使ってください。
“遊び”というのは古語で言うところの「詩歌管弦の遊び」であります。
美しいものを見て、美しいものを聴き、美しいものに想いを馳せることにアンテナが敏感になれば、幽霊や宇宙人ごときどうということはないただの「空気」みたいなもんです。
あなた達は無意識で「人を騙して苦しめる側」になり下がってはいけません。
優れたアーティストが、美しい芸術を生み出す瞬間の霊的な意識の高さこそが、まことの霊感であります。
いわゆる“能力者”は、そこから多いに学びを得て、世のため人のために働かねばならない。そういう大変な義務を担っておるのです。
しつこいようですが、皆さん、あらゆることをご自身の頭でよくよく考えて物事を感じてください。
迷えば音楽があるし、書物や風景や、動物や身近な人達といった“先生”がおります。
自分の心を開いて持って行けばいいのです、自分自身を磨くのに、難しくややこしいことはひとつもありません。
闘いましょう、美しく。
水に咲く花
確か「はじめてのジャケ買い盤」だった
Tボーン・ウォーカーの「モダン・ブルース・ギターの父」は、ブルース好きなら言わずと知れたモダン・ブルースのエポック・メイキングな作品であります。
このアルバムの凄いところは「ブルースにおけるエレキ・ギターのソロ奏法を確立した」ということのみならず、ひたすらに土臭くて泥臭くて汗臭いブルースという音楽を、1940年代の時点でこれ以上ないぐらいに洗練された、完成度の高いものへと発展させたところにある、と言ってよいでしょう。
甘口のゆったりとしたヴォーカルに呼応して唄うギター、ジャジーで粋なバンド・サウンド、どれを取っても“格別”の味わいと風格があります。
とか何とか言ってますが、高校時代にコレ、実は「ジャケ買い」で入手した一枚です。ハイ。
ジャケに描かれているのは、Tボーンがライヴでよくやる「必殺垂直座り背面弾き!」であります。
まぁこんなド派手なアクションでギター弾くようなヤツだから、さぞかしイケイケで弾き倒しな演奏をするんだろうと期待して聴いた途端、余りの渋さに頭が真っ白になったという青い思い出があります。
理解、というか「う~ん、カックィイ~♪」としみじみ聴けるようになったのは、それからもうちょい先のことでしたが、今では”深夜のまどろみタイム“に、なくてはならない愛聴盤のひとつです。
お酒が飲めたら晩酌なぞしながら、もっと深い楽しみを味わえそうですが、お茶でも十分晩酌気分にさせてくれますよ。
長年使ってたオーディオが遂に退役になりましたので、新しいのが来るまでパソコンでCD聴いてますが、う~んやっぱりパソコンだと気分がでないっ!(><。